~縦三横五の構梁を開き日本海側有数の湊町へ~
「新潟湊」は戦国時代に舟運 / 海運の拠点として大河信濃川左岸に生まれました。寛永八(1631)年に阿賀野川・信濃川河口が合流し「新たな湊」が必要となり、明暦元(1655)年に、「白山島 / 寄居島」を掘割・町建てし移転しました。信濃川に沿って縦方向には片原堀(東堀)、寺町堀(西堀)が、横方向には白山堀、新津屋堀、(まもなく新堀)、広小路堀、五祭堀、が掘られ、縦三横五の構梁(運河)は、「碁石港」とも呼ばれました。また、縦三の間には「本町通」と「古町通」が、横五の間には「坂内小路」「三間小路」などの通をつなぐ小路とともに、 1,000 余りの町家ができました。

北前船
大川前
白山神社/白山堀/町蔵

四ツ橋

新潟町奉行所より大川を望む
新潟町奉行所

新潟町全景
横三縦五の構梁(運河)